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カテゴリ:贅沢な寂しさ(小説)( 3 )

贅沢な寂しさ (短編小説)


『眼も耳も、体がもっと元気だった頃に書いた、つたない小説のひとつです、家人の勧めで、せっかく書けた作品だからと、ここに載せてくれました!御読み頂ければ嬉しいです!!!』

☆贅沢な寂しさ☆
(1)
バロックの低い調べは狭い仕事部屋を覆い尽すように薄汚れた窓ガラスに微かに響き返して私の耳に聴こえてくるような音のずれを私、原井美紗緒は今日も感じた。
私は65歳の今の今まで生涯独り身を通して暮して来た女職人!
人形に魂をこめる仕事、人形の顔を描く「面相描師だ!」

65年前、私が生まれた東北の寒村、山深い小さな村の集落は谷あいのわずかな平坦地に寄り添うように15軒ほどの村人が住む場所だった。
私は中学を卒業したその日に3人の同級生と村の世話役のおじさんに連れられて家を離れて、東京の人形工房に連れてこられた。

私の生まれた村は先祖代々の言い伝えによると遠い昔、平家の落人で戦いに疲れてこの地に逃げて来て隠れ住みついたのがこの集落の歴史の始まりだとか、正式には分からないが私の幼い日に聞かされたまるで夢物語のような、又、現実の事のようにも思えた怖い幼児体験の記憶のような、遠い昔の時代の話だった。

今、私が勤めている、東京にある人形工房の師匠の先祖が大将で、ある平家一族を連れて、人里離れた山の中に住みついたそうだ、長い歴史の中で、今も語り継がれている言い伝えだ!

今、現在の集落は私が生まれ育った頃とは大きくかわってしまい、数軒の家が生活するだけの廃屋だけが残る寂しい集落になってしまったが、私が生まれ育った頃はどの家にも子供の泣き声や笑い声が聞こえてくる静かだか活気ある人の住む場所だった。

15軒ほどの集落は殆どの苗字が「原井」だったり、今の私は忘れてしまったが、いくつもの不思議な伝統行事があった。

そのひとつが、昔から、この集落の子供のうち、中学の卒業生の中で幾人かはこの人形工房に親と世話役の人の話し合いで、決まり事として弟子入りする。
特に私の家は親子代々、長男、長女をのぞいて、人形の面相描きの仕事を引き受けていた事で、次女である私の意志や意見など聞かれる事も、私自身もなんの考えもなく、当然のようにこの人形工房に弟子入りした。

私が家を出た日は冷たい北風がつよく吹く寒い日だった。
馬が引く荷ぞりに町まで運ぶ荷物と共に乗せられて3人の同級生は命じられるままに着古した一組の着替えを風呂敷に包んで持ち、ひざの上に置かれた母親の心づくしの梅干をひとつ入れただけの大き目のおにぎりを3つ竹のこの皮に包んだ物を大事そうにもって荷ぞりから振り落とされないように必死に耐えて乗っていた記憶!

背中に背負う風呂敷の荷物がからだの不安定さをつくり子供だったあの頃の怖さを思い出す。
ひざの上に置かれたおにぎりからまだいくらか母の手のぬくもりが伝わるような気がしていたが実際にはおにぎりもカチカチに凍っていたのだった。

温かみなども無く、おにぎりの匂いも数切れの沢庵の匂いさえ感じとる事が出来ないほどの寒さだけが今もこの老境の身によみがえる、辛い記憶だった。

あの日からもう50年の歳月が過ぎて行った。
私は昨年の春に乳がんを患い、ある病院で、乳房の摘出手術をした。
幸いな事にがんはまだ他の組織には転移してはいないために、どうにか命の危険は避けられたようだが、独り身で頼れるべき人間もいない心細さから、病気ほど不安感や孤独感を大きく感じさせられる事の辛さを死の恐怖と共に思い知らされた。

今は、体調も快復して、小さな我が家、仕事場兼、住まいとして庭付きの古い賃貸アパートはたぶん私の終の棲家になるはずだ!
畳3畳ほどの庭には仕事の手を休めて気分転換出来る私の大切な場所で小さな世界だけれど、私の感性や生きるエネルギーを感じて心休まる場所だ!

この狭い、小さな世界を丁寧にを見渡し、可愛い花に出会っては、花たちと会話する!
「おはよう!今日も私をみつめていてね!可愛い、私の子供たちよ!」
そんなふうに声をかけるのが私の朝の日課だ!

私は、もう人生の終盤を迎えた初老の女だけれど、今、たぶん、私の人生の中でこれほど穏やかで、幸せな時間は無いのかも知れない・・・

この心は毎日が幸福感に満たされて、孤独ではあっても、心の平安を感じさせてくれる時、私の生きてきた道の厳しさを思う一瞬、少しだけ胸の苦しみを感じるけれど今は、とても穏やかに暮せている!
「人生は長いようで本当に短い!」

今、65年を生きて、ふと、30代はどんな時間だったか、40代はどんな生き方だったのかを振り返っても、思い出せないほど、フルスピードでただひたすら仕事に心を託して時は過ぎて行ってしまった気がする。

だが、私には忘れようとしても忘れられない20代の鮮明な記憶がある、面相描きの修行を始めて6年目だった、私は突然の腹痛で、ある病院に運び込まれた、病名は「盲腸炎」だったが、じつのところ、数日前から私は腹痛の自覚症状があったが、仕事の忙しさやまだ仕事では見習いの身で多少の腹痛など認めてはくれない事なのだと思いこんでいた、自分の我慢出来る限界まで我慢していた。

だから、病院に運ばれた時にはあと少し遅かったら手遅れだと言われた、やっと命が助かった幸運な状況だった。
緊急手術の後十日ほど入院して体が快復した私は、自分ではとても入院費を払えないので、人形工房が払ってくれた事は知らされていたが、師匠から、もし、自分の気持ちで病院へのお礼をしたい気持ちがあるのなら、仕事の休みの日に、病院の院長さんのお宅にお手づだいに行きなさいと言われた。

私がお世話になった病院の院長さんの先祖も同じ村の人間だった、言わば、私たちの郷里での出世頭であって、地域の実力者でもあった、そんな事情もあり、私は何日か病院長の自宅に手伝いに行った。

その時に病院長の一人息子である「長谷川恭介」に出会い、初対面では日常の挨拶を交わす程度の間柄だったが、恭介とは不思議な縁のめぐりあわせなのか・・・
私は珍しく仕事の休みである日曜日、大好きな画家の絵を観る為に東大の赤門の近くの小さな画廊で偶然にも「長谷川恭介」に出逢い、その後ふたりは急速に親しくなって行った!!!

(2)
私の愛する人、長谷川恭介は東大医学部の学生だったが、その頃の世の中は労働運動や大学は学生運動が激しい時代だった。
私は直接には労働運動に参加してはいなかったが親しい知人の中に数人、労働運動に心酔していた事で、私にも少しだけ、若く未熟な精神にも影響を与えていたのかもしれない。

恭介は大学に入ってから、友人のすすめもあり学生運動に参加してはいたが、いまひとつ馴染めない事と学生運動思想や恭介の考え方の違いから恭介の自分が置かれている状況にとても悩んでいて、私とのデートの時もその事の悩みをよく話しては深いため息をついていた。
その頃の私、美沙緒は恭介とはあまりにも育った環境や生活の違いの中で、身分違いの恋をしていた。

けれど、お互いが大好きな絵、画家が同じだったり、島崎藤村の文学にとても惹かれあっていた事、特に藤村の作品の中でお互いを影響し合い、精神的に高め合えた島崎藤村の小説「新生」であったりと!

恭介と私は藤村の精神世界に酔いしれて、互いの成長しきれない未熟さを補えるような気持ちを高めあえる喜びが嬉しかった。
お互いの心惹かれる藤村文学に共鳴出来る事が私を大人の女性にしてくれる、たとえ、それが錯覚であっても嬉しくて恭介の私に対しての愛情だと思いたかった。

お互いの感情が愛情で満たされていて、ふたりはお互いを想いあっていたと少なくとも私は信じていたし、事実、恭介からは大学卒業後だけれど心づもりしていてほしいと、結婚を申し込まれていたが、私には素直に喜んで、返事の出来る身分ではなかった。

恭介の家は、東京でも個人病院としてはとても有名な病院を経営している病院長の一人息子だったから、将来は間違いなくその病院の父親のあとを継ぎ、院長になるはずの人間だ!

その事を知りながら、私は、ただ、お互いに愛していると言うだけで、結婚できるはずもなく、恭介に対しての劣等感のような不安感を常に抱きながらも幸福感に酔う、小さな混乱した気持ちの中で、あの日を迎えた。

あの頃の若者は、現在ほど多様な遊びが無い時代だった事で、登山を楽しむ者も多く、私も同郷の先輩に連れられて、何度か登山の経験があった。
その頃の恭介は精神的にとても追い詰められている事が、そばで恭介の姿を見ている私が胸が詰まるほど彼は生き方に深く悩み、苦悩していた。

労働運動や学生運動は、益々、恭介の思いや考えからかけ離れた過激さを益して行き、それはまるで、暴力的な組織に変貌して行く事の恐怖が恭介には耐え難いものになって行き、だが、その中から抜け出そうと、もがいては、もがくほど学生運動の仲間や恭介の心をがんじがらめにして行き恭介の精神を痛め続けていた。

ある日、恭介は苦しみから逃れるように言った!!!
「みさちゃん、僕と一緒に何処かへ逃げてくれないか!」
「僕を知る人のいない場所へ・・・」
「もう、このまま、生きて行く事など出来ないから、逃げ出すしかない!」
「確かに僕は卑怯者だが、どうしても、僕の考えとは違いすぎて!」
「もう、あの中では僕は無力すぎる人間だ!」
「けれど、もう、限界なんだよ、耐えられないのだよ!」
「だから、何処かでふたりで静かに暮そう・・・」

恭介はもうその時は冷静な判断の出来ないほど精神的に追い詰められていたのだった、けれど私は若さゆえの未熟さが、その時の恭介の心を見抜けずに、単純な答えしか出来ずに、恭介の心を傷つけてしまったのだろうか・・・

私は安易に軽い気持ちで聞いてしまった、むしろ、恭介が私を頼ってくれる事が嬉しかったから、気持ちが浮ついてしまい、ふかい思慮に欠けていたのかもしれない!!!
「恭ちゃんは、何処に行きたいの!」
「私は何処でも良いけれど、ご両親は?」
「恭ちゃんが出かける事を許して下さってるの?」

恭介に対して、私は、本当につまらない質問をしてしまった。
無神経にも、恭介の一番気がかりな事を平気で言ってしまった!

長い時間が過ぎて、大人としての判断が出来る今は、あの時の恭介の気持ちを理解も出来るけれど、あの頃の私は幼さと無恥な世間知らずで、人の心を理解できるほどの賢さも持ち合わせてはいなかった。
ただ、恭介をとても愛してる、その心や想いだけで、あまりにも幼かった、愚かな人間だった。

恭介に乞われるままに、私は、仕事場の先輩に連れて行ってもらっていた登山では馴染みのある私の大好きな山をいくつか考えて、何度か行った事のある山、「谷川岳」にふたりは登山する事になった。

恭介は始めての登山体験だった、だから、私は恭介の登山の装備も一緒にふたりの荷物を用意して、私の手持ちのリックに恭介の装備をパッキングして、恭介に渡して背負って貰った。

その頃は、恭介は私の部屋に時々来ては泊まって行く男と女の間がらになっていたから、私は何の躊躇もなく、恭介の愛情を疑う事もなく、うわべだけは仲の良い恋人同士の姿だった。

私は登山がはじめての恭介の事をもっと良く考えるべきだった!
少なくとも恭介の背負うリックの中身を彼に見せて、どんな時に必要な物なのかを知らせておく事が必要だったが、そのちょっとした注意を怠った事によって、私の人生を大きく狂わせたのかも知れない!!!

私はその事を、40年が過ぎた今も胸がえぐられるほど痛い思いで後悔する気持ちになる!!!
40年前のあの日、恭介と私は夜行列車に揺られて、谷川岳の登山口の駅、土合駅へ向かった。

私は、夜行列車には、ふるさとに帰るときも、又こうした登山などで出かける時などに、たいていは夜行列車を利用する為に慣れていたが、恭介は育ち方の違いもあり、夜行列車にはあまり乗った事がなくて、相当の苦痛を感じていたようだった。

あの頃は本当に登山ブームだった、しかも、殆どが若者の独壇場であった、だから、夜行列車も上野から乗り込む時は、通勤の乗客も乗っている為に遠慮がちにリックを積み上げて座る場所をつくり、だんだん、通勤客が降りて行き、前橋を過ぎた頃には軽く飲むビールや酒の酔いも手伝い、男性は列車のイスの下に新聞などを敷き寝る、女性は固いイスの上に座って眠るのが暗黙の決まり事のようにそれぞれの場所を見つけては休んだ。

私は恭介を自分が座るイスの下の場所を列車に乗ると直ぐに確保しておいた、新聞紙をしいて恭介の寝る場所にふたりのリックなど荷物を置き、その上に恭介に座ってもらった。

周りの乗客が落ちつくまではただ座って待つしかなかったが、恭介はこういった場所や状況に慣れていないために、ぎこちなく、居心地の悪そうな表情をして、眼をとじたり、時々、大きく深呼吸するようにため息をついていた。

恭介は眠れずに、息苦しさも手伝って、何度も咳込んで苦しそうにしては寝返りをする、狭い座席の下で耐えているようだった。
私は恭介とふたりで谷川岳に登れる事が嬉しくて、心が小躍りするほど興奮してしまっていたから、恭介が、何を思い考えての行動なのか、察する事も出来ない、恋心だけがあつくなるばかりだった。

(3)
乗り合わせた夜行列車は、周りの山男や山女の手馴れた手順でもう各グループごとに酒盛りを始めてるから、つい、はしゃぎだして、遠慮がちながらいつしか、大きな笑い声や話し声を出してしまう!、立ったままの通勤客は不愉快そうな顔の表情をしていて、時には・・・
「あいつら、うるさいな~」
「いいかげんにしてくれよ!」
「ほかの乗客の迷惑を考えろよ!」

そんなふうに言って、怒り出す乗客もいたが、たいていはその時の雰囲気が険悪に瞬間的になったとしても不思議と、言い争いや喧嘩になる事はなかった。一時的に嫌な空気になっても、誰かが、一言、「すみません、ごめんなさい」と素直に誤ったりして、自然に落ちついた雰囲気になっていく・・・

いつしか、列車の中は男はイスの下や通路に寝て、女は固いイスに座り、眠りについて行く・・・
けれど、恭介はこのような雰囲気に、体験も無い事で、馴染めずに、苦しそうに何度も寝がえりして、落ちつかない様子で深いため息に気づきながらも、私は少しだけ飲んだアルコールの酔いに誘われて、やがて軽い眠りについてしまい、いつしか、水上の駅を過ぎて、土合の駅についてしまった。

たいていの乗客、登山者はここ土合駅で降りてしまうのであわてる事もないが、大きな荷物を背負っている山やさんたちは、怒鳴り声のように大声で連絡しあっていることが、恭介には驚きと恐怖を感じたようだった。

土合駅は地下深くに列車の下りホームがあり、『486段』の階段を登って、地上駅に出なくては、谷川岳登山は始まらない!!!

これまで、私は、何度か谷川岳へ登ったけれど、列車の中で、ある程度の睡眠を取る事が出来た時はこの長い階段はさほど苦しくないのだけれど、列車で睡眠を取れなかった時は決まって、登山は苦しいものだった。

この486段の階段の登り方で、その時の体調を計る、バロメーターのように、登山者は、それぞれの登り方で地上の駅を目指すのだった。
今回、私は列車の中で浅い眠りが出来ていたので、階段を登る事はさほど苦しいものではなかったが、恭介は、何も、かもが初めての体験で、戸惑う事も多く、列車の中では、私の座るイスの下の床に横になっていても体の痛さに耐えられずに起きて床に座っていても全く眠れずに苦しんだと恭介は私に辛さを訴えて、ひどく疲れた表情をしていたので、私は恭介のリックを自分のリックの上に乗せて担いで階段を登った。

恭介は青白い顔をして、喘ぎながら、長い階段を一段一段、足をあげる事さえ辛そうで、何度も聞いてくる!
「まだつづくの?」
「まだ、つかないのかな~」

そんなふうに私に聞いて来る、その度に、私は・・・
「もう少しだから、頑張って!」
そう言って励ますしかなかった。

恭介は本当に体調が悪いようで、何度も、気分が悪くなり、吐くような仕草をしても、昨夜から何も食べていないし、水さえも飲んでいなかった事を思い出して、私は、水を飲むようにすすめた。

それで少しは気分の悪い状態が良くなってほしかったし、元気になってほしい!
私が登山中にばてた時の対処方法だから、恭介も良いほうに変わり、体調が快復してほしいと思いながら、アルミの水筒を恭介に手渡して・・・

「水を一口でも飲んでみて!」
「きっと吐くのにも楽になって!」
「胃の中にある物全部を吐き出してしまうと」、
「気分がすっきりして楽になるから・・・」
「体調も良くなると思うの!」

何度も、何度も、長い階段がつづいて、もう、殆どの乗客は、周りのはいなくなっていた。
恭介はどんなにか、惨めな思いだったろうか、それでも私が言ったことを素直にそうするしか苦痛から逃れようがないのだと信じて、誠に忠実に繰り返し、吐く行為をやった事で、少し、気分が楽になったようで、又、階段を一段ずつ、何度も休憩を取りながら登って、やっと、土合駅の地上に出た。

けれど、恭介のようすを見ていて、私は、恭介がこれから、とても谷川岳に登山できる状態ではないと思い、どうしたらよいのか、このまま、帰るべきだろうかと考えあぐねていると、恭介はいきなり言った!

「この辺に泊まれる宿はないの?」
「泊まれるところがあれば、今日は僕、ゆっくり休みたいから!」
「宿をさがして、連れて行ってくれないか?」
「みさちゃん、僕、とても辛いんだよ!」
「まるで、体が動いてくれないだ!」

いかにも辛そうに、喘ぎながら、私に訴えて、恭介はそこにへたり込むように座り込んでしまった。

私はふと思い出した、確か、土合の駅から少し下ったところに「山の家」があったはず、あの小屋に頼み込んで今日は恭介を休ませてもらおうと、座り込んでいる恭介の手を取りゆっくりと歩いて貰って、やっとの思いで「土合山の家」にたどりついた。
さすがの私も自分のリックと恭介のリックを担ぎ、恭介の手を取り支えながら歩くのは大変で、小屋についたときは、ほっとした気がして張りつめていた気持ちが楽になったように思えた。

小屋の管理人に事情を話しても不思議な顔をされて、小さな小屋だが、今は午前中の早い時間でもあり周りには泊まり客も無い殺風景な空間に薄暗い土間があるだけの場所はいかにも山小屋の空間だった。

小屋番のおじさんも私たちの様子を見て、どんな風に思ったのかは分からないが、ちょっとの間をおいてから、今日はここに泊めてもらう事を許されて、宿代を先払いして、ふたりは奥の畳が敷かれている10畳ほどの広間に休んで良いと言われて、私はリックをそのままにして、恭介を支えて歩いて行き、指定された場所に布団を敷き、恭介を寝かせた。

私はなるべく音を立てずにそっと荷物を運びながら恭介の様子を見ながら、整理してから、恭介の今後を考えていた。
あす、体調が快復したら、とにかく、東京へ戻ろうと思った。
恭介の最初の望みは、「何処か、遠くに行きたい!」と言う事・・・

今、置かれている恭介の身の置き所も無い、精神的に追い詰められた状況から逃げ出したい思いだけだったが、どういうわけか、ふたりで家出の相談をしていて、「谷川岳」登る事に話が決まったが、恭介は登山の経験が全くなかったが、なぜか、恭介は「谷川岳」にこだわっていて、どうしても登りたいから、連れて行ってと言い、決まった事だった。

丸一日、山の家で休んでも、恭介の体調は良くはなかったが、けれど、次の日の朝、恭介はそんな状態の中でも、みように我をはり、谷川岳に登りたいと言い張った。
私の仕事の休みは今日だけしかないから、普通に考えれば、明日帰っても無断で仕事を休む事になる。

けれど、このときの私の心境は不思議なほど、常識的なことは忘れていた。
こんな心境を「惚れた、弱み」とでも言う事なのだろうか、私は、恭介が、谷川岳に登りたいと言えば、その希望を叶えてあげたいと素直に思えたし、そうするべきだとも思えたのだった。

その時の私は、恭介の心の中を読み取れるほど、大人でもなく、むしろ恭介をただ夢中で愛している恋人でいたかったのだろう。

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by hisa33712 | 2012-05-27 11:37 | 贅沢な寂しさ(小説)

贅沢な寂しさ (短編小説)


(4)
恭介が、今まで、登山どころか、軽いハイキングをもした事も無い、山に入った経験が全くない、ましてや、今回の旅で体調をわるくして、谷川岳に登れるほどの体力が快復してはいなかった事さえも考え付かないほど、私は恋に溺れた愚かな女になっていたのだった。

むしろ、私が支えてあげれば、恭介は男性なのだし登山の苦しさくらいには耐えられると簡単に考えていた、あの時の私自身が登山者として過信しすぎていたのだろう。
恭介は一晩ゆっくりと休んだのだから、もう、睡眠不足による、体調不良も快復しているだろうと、軽く考えてしまっていた。

夏の登山シーズンとしては少し早い6月のはじめの今、谷川岳は新緑が美しい季節だ、まだ夜も明けきらぬ早朝の5時前に恭介の体調を少しだけ気なりながらも、私の気持ちは逸っていた。

何事においても恭介と知り合って、恋人同士になってからも、どうしても私は自分でも気づかないうちに気後れしている部分が多かった気がしていた。
今の時代であったならば、身分が違いすぎるなどと言う事の偏見を持つ必要も無いのだけれど、あの頃は、恭介と私では学歴も家柄も違いすぎた、したがって、恭介と私の知識の違いも多い気がして、たとえ、知っている事でさえ、口ごもったり、物事を知らぬふりをして、ぎこちないそぶりが可笑しくもあったけれど、恭介の素敵さが、私を不安な気持ちにする時も多くあった。

けれど、私には、登山、山の事だけは唯一、恭介に堂々と話せる事であって、自信のもてる事でもあった。
恭介がなぜか、谷川岳に登ろうと言った時、恭介の心のうちを知らずに、私はとても嬉しかった。

私の大好きな山である谷川岳を、職場の先輩に連れられて登山した時など、その時の楽しさや登山の苦しみも、たとえようない喜びや幸福感に変わる瞬間がある事を、私は得意げによく恭介に話していた、その事を恭介が覚えていてくれた事が私はただ嬉しかった。
昨日から宿泊していた、土合山の家を私はふたりの荷物を手早くまとめて、恭介が背負うリックには軽い物をまとめて、私が背負うリックには食料や水など重いものをまとめて背負い、車道を歩き、昨日、恭介が苦しみながら階段を登った、土合駅を右に見ながら、西黒尾根の登山口を目指して、ゆっくりと恭介の様子を見ながらふたりは歩いた。

今日もやはり歩き始めてすぐに、恭介は苦しそうな息づかいに耐えて、無言で歩いている事が気になりながらも、どうしても谷川岳に登ってみたいと言う恭介を励ましながら歩いた。

西黒尾根の登山口へ向かう少し手前にある登山センターはいつ来ても背中をこそ寒い感覚になる不思議で緊張させられる不安な気分になる場所だ!

なぜか、別世界の存在を感じるような感覚になる、だがそれは決して怖いとか恐怖を感じる事ではなく、眼に見えない存在とでも言おうか、大げさに言えば、何かこの眼に見えない存在を意識させられる場所だ!

とにかく、湿気と生温かい空気がよどむ、そんな不思議な感覚の中で、私は恭介とふたりで、これから登る谷川岳のコースを記入した登山届けを出して、西黒尾根の登山口に向かった。

少し急な登りを恭介は喘ぎ苦しみながら、時々深いガスが行く手を阻むように、すべての風景を覆い隠して、うす闇の中でふたりは緊張と足場の不安定な岩場と格闘してもがきながら、突然闇はひらけて、雲間から射す、光の帯はまるで、クリスタルの氷柱のように煌き、まばゆく眼の中を焼き尽くすように走る、一瞬の光線が体を突き抜けて行く、冷えた体を暖めてくれる光だ、そんな中でふたりは必死で歩いていた。

そんな恭介の姿を見ていて私はむしろ頼もしく思えて、いい知れぬ喜びと幸福感さえも恭介に感じて嬉しかった、これでやっと恭介と私は同じ立場に慣れたような気がしていた。

いくつもの難所を無事通過して、何度も深い霧に包まれ、手探りの登山を強いられて、恭介と私は苦しさの中を喘ぎながらケイセツ小屋跡をいつの間にか通り過ぎていた。
ごくまれに突然深い霧が晴れて太陽の光がふたりだけに射してまるでスポットライトのように、薄い色の虹をを見た時、なぜか私は苦しいほど切ない思いになり涙が流れてとまらずに何度も手でぬぐいながら歩いた。

ふと、雲の切れ間から見えた、マチガ沢の風景は恐ろしいほどの迫力で私に迫って来るようで思わず私は緊張して体が硬直する!

最後の岩場を恭介はよろけるように、危なげな足取りで、岩場をよじ登りながら、なぜか、恭介も涙を流しているようにみえた姿に、私はわけの分からない不安を感じて、鼓動が苦しくなるような気持ちが乱れて落ちつけない!

「恭介さん、少し先に、避難小屋があるけど、休んで行く?」
「少し、風が強いから、風を避けて、小屋で休んだほうがいいわ~」
「体を休めようよ!」
「朝から、何も食べていないから、少し何か、小屋で食べましょうよ!」
「何か、食べたほうが、体も温かくなると思うの!」

そう言って、恭介に何とか休んでほしいと思うけれど、恭介は、どうしても、谷川岳の頂上に早く行きたいと言って、私の話を聞こうとしない。

「恭介さん!」
「そんなに、急がなくても、大丈夫よ!」
「下山は天神平まで下りて、ロープウェイに乗って行けば良いし」
「下山はもっと楽に歩けるから・・・」
「足は辛いかもしれないけど、胸は苦しくないからね!」
「ゆっくり歩いても、夕方までには下りれるから・・・」
「少し、休みましょうよ!」
「とにかく、何か食べて、体力をつけなくては、ダメよ!」

恭介を少しでも休ませてあげたい、体を楽にして、疲労をやわらげてあげたいと思い、こんな言葉を並べて、恭介を非難小屋で休ませたかったが、私自身もふと、心の中になぜか不安感があった。

確かに、今は谷川岳の頂上がはっきりと見えるつかの間晴天だが、いつ、天候が変わるか分からないこの谷川岳!
この山は天候の変化をいち早くよみとる事が難しい山だと、私の頭の片すみをよぎった。
そう、思いながらも、雲一つ無い、深い青い空が谷川岳を太陽の光が照らしている、あんなに深い霧に覆われていたさっきまでの風景が嘘のように美しい青い空が見えていた。

けれど気温は低い、確かに吹く風が冷たく体を休めると直ぐに冷えて寒くなって来る事を避けなくては・・・

ここからはもう一呼吸で登れる、眼の前が谷川岳頂上トマの耳がはっきりと見えていた。
恭介は休むと歩き出しが辛いからと言いながら、よろけるように、私の前を歩いて行く!

その姿がとても辛そうで、私は手をとり、支えてあげたかったけれど、恭介に触れる事さえ今は許されないような拒絶感を感じて恭介の一歩後ろを歩きながら、恭介がなぜここまで谷川岳を登る事にこだわったのだろうとふと思った。

喘ぎながら、やっと、恭介と私は谷川岳の頂上、トマの耳にたどり付いた!!!
恭介は頂上に着いたと同時に、狭い頂上によろけて、座り込んでしまった!!!
私はリックから雨具の上着を出して恭介にかけてあげながら・・・
「風が冷たいから、風を避けられる場所に移りましょう、恭介さん!」
「恭介さん、お願いだから、私の話を聞いて!」

(5)
私は恭介の腕に触れた瞬間、不思議な感情になり、わけの分からない不安感、表現の出来ない恐怖を感じて、それは、恭介が怖いのではなく、別の存在が恭介のそばにいたのを見た気して緊張した。

あの時の感覚は40年の歳月が過ぎた今も忘れる事が出来ないほど、とても不思議で全身が硬直するような違和感を感じた感覚だった!

そんな嫌な感覚を無理に振り払いながら、私は、恭介の腕をとり、オキの耳ピーク側に向けて、少し背の高い笹が茂る場所に移動して、ふたりは腰をおろして休んだ。

私はとにかく下山までの少しの時間を恭介に何か食べてほしいし、少しでも疲労感を取り下山の歩きを少しでも楽にしてあげたかった。
私のリックから取り出した、土合山の家でもらって来た、つめたく冷えてしまった、水筒のほうじ茶を恭介に手渡し口元に無理に持って行き、一口飲んでもらい、ビスケットを無理に食べさせてほうじ茶で流し込むように食べてもらったが、恭介の胃は食べ物を受け付けないようで、直ぐに、吐き戻してしまった。

そんな中で、ふたりの心を和ませてくれた、思わぬ珍しいお客さん、可愛い姿の「オコジョ」が本当に珍しく私たちの眼の前を一瞬、横切って行く姿を見た!
その姿はあまりにも突然で、可愛い姿で、オコジョは一瞬、私たちに挨拶をするように、ふたり顔をちらりとみつめて、まるで、幻だったように、姿を消してしまった。

恭介は、今回の私との過ごした3日間の中で始めて、やさしい笑顔になった、可愛いい、オコジョの一瞬の姿が、恭介の心を和ませたようで・・・

「もう一度、あいたいな~」
「まるで、天使のような、姿だったね~」

そう、ぽつんとひとこと言って、恭介は、又、元の暗い表情になった。
恭介のその暗い表情の意味を私はまだ理解できずにいた事が、長い歳月が過ぎた今も悔やまれて、心が冷えて硬直するような悲しみが心を曇らせてしまう。

私はあの頃まだ心が幼すぎたのだろう、私の想いだけが強すぎて、恭介の苦しみや苦悩を分かろうとはしなかったのかも知れない!
恭介の暗い表情が私には息苦しいほど気まづく感じて、何も食べられずに水さえも飲もうとしない恭介の姿を見ているのが辛くなって、又、私自身の生理現象を長く我慢していた事もあり・・・

「恭介さん、私、ちょっと、そこまで」
「お花摘みに行ってくるわね!」
「ここで、待っててくださる・・・」

恭介さんは不思議そうな顔をして、お花摘み?って?・・・
「この辺に、お花は、あまり咲いてないよ!」
「でもゆっくり、お花捜して見て来て!」
「僕はここで待ってるから・・・」
「僕はとても疲れたから・・・」
「お花を見つけられないよ!」

そう言いながら、恭介は体を少し横に倒れるように寝転んだ、私は恭介の体を支えるようにリックの上に頭をのせて、つかれた体を休めて元気を取り戻してほしくて・・・

恭介をひとりにしてあげたほうが良いと思いながら、私は恭介のそばを離れた!!!
お花摘みとは、山でのお手洗いの事、生理現象の用をたす事を現す言葉だった!

なにげなく交わした、この会話を最後に、恭介と私は、あまりにも残酷な運命を生きる事になった。
恭介には、この言葉、お花摘みの意味を説明出来るほど、その頃の私は大人の女ではなかったから、生理現象の気恥ずかしさから、ぎこちなく笑い、可笑しな顔を恭介に見せて、急いで、用を足せる場所を捜してまわり、笹薮の高く生い茂った中に隠れて用を足した。

私が恭介のそばを離れた時間はほんの10分ほどの短い時間だったと思うが、そのわずかな時間が恭介と私の一生を運命付ける、果てしなく長い時間になった。
私の不運さを決定づける時間になってしまった!!!

私は生理現象の気恥ずかしさをかんじ取られないように、身だしなみを特に気づかいながら何度も確かめてから恭介のいる場所に戻ったが・・・

なぜか、ついさっきまでふたりがいたその場所、恭介のいるはずの場所には誰もいなくて、私は、恭介も用を足しにその辺に行ったのだろうと、簡単に考えて、自分が背負って来たリックの中身を確かめて、恭介が食べられる物を考えて、あれ、これ、と思いながら、自分は恭介のいない間に恭介に気を使わずに食べられる、あんぱんを大口でほおばりながら食べて、恭介の戻って来るのを待っていた。

10分たち、20分たち、そして30分、1時間過ぎても恭介は私が待っている、ここでふたりが休憩していたこの場所に戻ってはこなかった。
「恭介さ~ん~、恭介さ~ん~」
「どこにいるの~、早く、戻って来て~」
「す~ぐ~に、恭介さ~ん~、返事をして下さい~」
何度も恭介の名を呼びつづけて・・・

のんびりやの私も不安な気持ちがどんどん広がって行き、どうしたらよいのか分からない、混乱した気持ちで、周りを捜し、誰かに助けを求めたくても、不幸にも、谷川岳の頂上付近にいる登山者は誰もいなくて、急いで、山頂から少し下った、肩の小屋避難小屋に急いで駆け込んでも、ここにも人のいる気配さへ無い、誰もいない!!!

私は急ぎ、駆け出して、元の場所に戻った!!!
恭介が戻っているかもしれない!、いや、絶対に恭介は戻って来ているはずだ!

そう思いながら、息が苦しいのをこらえながら、恭介の姿を求めて、ふたりが休んでいたあの場所に急いでかけ戻った!
けれど、無情にも、ふたりがいた場所には誰もいない、恭介は何処へ行ってしまったのだろうか・・・

私は、恭介が私の後を追って、用を足すために行った、オキノ耳方面に少し離れた場所まで行ったので、私の後を追って行ったのかもしれないと、何度も、何度も、恭介を捜して稜線上の足場の悪い登山道を恭介をさがして歩いた。

あとから気づいた事だけれど、なぜか、恭介が背負って来たはずのリックもなくなっていて、益々、私は混乱して、恭介の身を案じながら、不安を大きくして行った。
谷川岳の登山シーズンには少し早い時期でもあった事と、西黒尾根を登って来た歩程時間がかかりすぎて、頂上についた時間が昼をすぎて、3時に近い時間だった事に今頃になって私は気づいた!!!

あまりにも登山者としての思慮不足で未熟だった事から起きた事だったのかもしれないと、混乱する気持ちを落ち着かせようとつとめたけれど・・・

私が我に返って、恭介がただならぬ事態に至ったと悟るまでの時間、私はただうろたえて、ひとりで動き回り、探し回っただけで、どうする事も出来ずに無駄な時間を費やしてしまった事が悔やまれた。

けれど、もう、夜の闇はとっぷりと私に襲いかかり、私をがんじがらめにして、暗闇の中に閉じ込めてしまった。

(6)
ただひたすら、恭介が戻って来てくれる事を願い、祈りながら、ながい、ながい、夜の暗闇の中で、恭介とふたりで休んだ場所に私はひとりで一晩、寒さも感じないほどにただ、恐怖と不安に耐えて過ごした。

もちろん、何度も、肩の非難小屋へは行ってみたが、恭介とふたりで、谷川岳の頂上に立ってから誰にも会ってはいないし、非難小屋にいた登山者も無く、この山にいるのは姿の見えない恭介と私だけなのだと思った時、耐えられぬ寂しさと恐怖で体が硬直するほど恐れ混乱した。

恭介が私を驚かそうとして、きっと何処かに隠れていて、直ぐにでも、私の目の前におどけた顔をして出て来てくれると思いながら、何度も何度も、繰り返し同じような思いを意識して自らを抱きしめながら、体が硬直する感覚で息をする事も続けられないほどの恐怖感におびえて、絶えず周りを見渡しては闇だけは広がる絶望感に耐えていた。
ながい、ながい、夜が明けても、恭介は戻っては来なかった!!!

私はしばらくの間どうすれば恭介が戻って来てくれるのか、そればかりを考えていた。
ふと、気づいた瞬間!
やはり、恭介は何か危険なめに遭ったのだと思った!

確か、私が「お花摘みに行ってくるね!」といった時、恭介は、その前に一瞬だけ姿を見た「オコジョ」の事をとても気にして、私に話しかけていた事を思い出した。
「もう一度みたいな~」
「はじめて、見たけど!」
「本当に可愛いね~、小さな姿でも動きはすばやいね~」

確かに、そんな事を私に話しかけていた、けれど、私は、生理現象をぎりぎりまで我慢していた事で、恭介の話をしっかりと聞き受け止めてはいなかった事が、今、とても、おそろしい事に繋がってしまったのだろうか。

私は必死で自分の気持ちを落ちつかせて、この事態を誰かに伝えて、助けてほしい!
けれど、私の周りには何処までも続く、うごめく魔物のように、幾重にも折重なる山並みだけ!
そのど黒く巨大な風景が私を目指して襲い掛かってきそうなほど揺れ動いて、すざましい速さでせまり来るようで、私はもう身動き一つ出来ないほどの恐怖に震えていた。
今、だれひとり、頼れる人も無く、混乱と恐怖の中で助けを求める方法や考えさえ、思い浮かばなかった。

早朝の谷川岳山頂はどんよりと曇り風が冷たい、ただ不安と焦りが私を混乱させて、泣き喚くしか無く・・・

「私、恐ろしくて・・・」
「恭介さ~ん、恭介さ~ん!」
「早く、戻ってきて~~~」
「どこに、いるの~」
「私、どうすればいいの~」
「私ひとりを置いて行って~」
「誰も助けてくれないの~」
「怖くて、恐ろしくて、体が動かないの~」

どうしても私には、今、自分が置かれている状況が信じられなかった、何処か、獲たいの知れない魔物がなせる業に取り付かれた!!!

そんなふうに思ってみたり、又、恭介がわざと何処かに隠れているような気がして、そう思う事で、今の混乱した気持ちから逃げ出したいと泣きながら、恭介の名前を呼び続けた。
夜明けから、どの位の時間が過ぎたのだろうか、ふと、我に返った私の前に、3人の登山者が現れて、私に近づいて来た!

私は無意識の中で恭介を助けてほしいと、誰かに頼みたくて、天神平に向かって歩いていたようだった。
あまりにも私の姿が異常な表情をしていたようで、呼び止められて、やっとの思いで、昨日からの出来事を混乱した状態の中で、説明して、救援者を呼んでほしいと頼むのがやっと出た言葉だった。

今の時代と違って、携帯電話も無い、こんな時は、人間の助けが絶対必要な時代だった。
天の助けのように3人の登山者に出会い、その中の一人に天神平のロープウェイ駅まで下山して貰い、救援隊を頼んでもらう事になって、そして、他の2人の登山者と共に私は、恭介がいなくなった場所へ同行してもらい、恭介と別れてしまった時の状況を何度も何度も説明して、恭介を捜せる方法を考えられるすべてを行ったが、やはり、恭介の姿を見つけることが出来なかった。

やがて、捜索隊が着いて、私は恭介がいなくなった、今までのいきさつを何度も話し、捜索をお願いして、ひとまず、肩の避難小屋で待つように言われて、婦警さんに付き添われて小屋で待つことになったが、それから、連日の捜索が数日続いたけれど、恭介を発見する事は出来なかった。

恭介が谷川岳で行方不明なったままで、何の情報も無いままに、ひと月が過ぎた頃、私は突然、逮捕された!!!
私の逮捕容疑は、『長谷川恭介の殺人容疑』だった!!!

私は何がなんだか分からずに混乱した気持ちのまま、警察に連行された!!!

恭介が発見されたとは聞かされていなかったし、ましてや、死亡したなどとは、想像もしていない事だった。
警察につれてこられて、聞かされた事は、恭介が行方不明になった場所で、私と恭介が言い争いをして、谷川岳の山頂、トマの耳からオキの耳に向かった少し歩いた細い登山道で恭介を私がマチガ沢側の谷に突き落としたと言う、殺人容疑だった!!!

そんな恐ろしい事は、もちろん、私には全く身に覚えの無い事だし、私が恭介と言い争いをするはずも無い事だった!!!
私は警察の取調室で、思ってもいなかった事、考えもつかない事をいろいろと聞かされた、特に驚いた事は・・・

「恭介と私が言い争いをして、私が、恭介をマチガ沢の谷に突き落とすところを目撃した人間!」
「登山者がいて、目撃証言を警察に話している事だった!」

あの日、谷川岳の頂上で、恭介と私以外は誰もいなかったし、誰にも会ってはいないはずなのに・・・
私は、今まで、一度も、恭介とは言い争いも、喧嘩もした事が無かったし、もちろん、谷川岳の登山中も恭介が行方不明になった時まで、そのような言い争いをしてはいない!!!

なぜ!私がこのような事で、容疑者として取調べを受けているのかさえも、悪い夢!、長い、なが~い、苦痛と悪夢に苦しめられているのか、理解出来ないまま、連日の取り調べで混乱した状態の中で私はひと月が過ぎた頃、ひどい体調の異変に驚き、苦しんでいた。
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by hisa33712 | 2012-05-27 11:35 | 贅沢な寂しさ(小説)

贅沢な寂しさ (短編小説)


(7)
まるで私の体全体がねじれて、ちぎれてしまうほど耐えがたい腹痛と吐き気に水さえも飲めないほどの苦痛だった。
最初は、毎日の取調べで、身に覚えの無い自白を迫られて、脅迫されているように恐ろしくて、辛くて、体が耐えられずに苦しいのだと我慢していたが、私は取り調べ中に苦しみながら、失神して、病院へ運ばれて、しばらくして、私は意識が戻ったけれど、腹痛と吐き気は続いていた。

しかも、医師に伝えられた言葉に驚いた、私は、妊娠していたのだった!
「妊娠5ヶ月目に入っていると告げられた!」

私は、元々、生理不順で、今までにも、何ヶ月も生理が無かった事もあって、確かに、ここ数ヶ月は生理は無かったが、それほど、気にもせずにいた、それほど私は精神的にも幼く、人間として、成長出来ていなかった事を思い知らされた。

私の妊娠が分かってからも、取り調べは続いたが、私は、気力をふりしぼり、耐えた!
どんなひどい言葉で自白を迫られても、私は、絶対に、恭介を突き落としてはいないし、そんな恐ろしい事をしてはいない事だけは、自分を信じられた!!!
だから、自白を強要されても、侮辱された言葉を浴びせられても耐えられた!
それから数ヵ月後、まだ、取調べが続く中で、私は、恭介の子供を生んだ!!!

私の赤ちゃんは、生れて来る予定よりも一月以上も早い、未熟児で、生まれて数時間後に亡くなったと知らされて、私は、言葉では表現の出来ないほど悲しみと混乱した中で、絶望的な思いから、取調べ官の言う言葉に無意識にうなずいてしまった。
そして、私は、恭介を殺めた人間としての烙印を押されてしまった!!!

そして私は裁判所の法廷に立たされたけれど、もう、その頃は私の心も体も何の意識もなく、ただ、抜け殻のように、呼吸だけが勝手に息をしているだけの人間になっていた。
そして私は、恭介と私が言い争いをして、お互いの激情の結果、私が谷川岳の頂上から恭介を突き落とした罪を犯したとして・・・
「懲役3年の実刑を言い渡された!!!」

刑務所での生活は、苦しみ、悲しみ、絶望、その感情だけが今も鮮やかに思い出されるが、一日、一日、ひとつ、ひとつの出来事がどんな事だったのかは、思い出したくも無い記憶からか、刑務所での生活、日々の物事としては、四十数年が過ぎた今は思い出さずにすんでいる。

夢遊病者のような、日々の記憶の曖昧のままに、刑期を一年残して、私は突然釈放された!
それは、私が勤めていた、人形工房の師匠をはじめ、多くの友人知人の尽力で、嘆願書が出された事と、恭介の亡くなったと言う証拠や恭介の遺体が発見されなかった事で、釈放が決まったのだと、後で聞かされた。

40数年が過ぎた今も、私が殺めたとされる、長谷川恭介の亡骸は見つかってはいない!!!
私は、刑務所を出所したあと、時間が許す限り、恭介が行方不明になった、谷川岳周辺の山々を恭介の姿を求めて、恭介の手がかりを捜し歩いた、その殆どが私のたった一人での捜索活動であって、時には、谷川岳の頂上から、北につづく、一の倉や茂倉岳、蓬峠などを何度も、何度も歩いて、恭介の存在を求めて捜しまわって歩いた。

そして何の疑いも持たずに、長い縦走路を西に向かって、仙の倉や平標山までも捜し歩いたが、恭介の手がかりは何一つ見つける事が出来ずに、私は孤独感と釈然としない思いのまま、恭介と私の関係!

そして、彼の生死、存在を確かめる事さへも少しずつ、諦めるしかない事を悟った。

そして私の青春は終わったし、たぶん、ある意味、人間を信じられなくなったのかもしれない・・・
その後の私の人生は、ただひたすら、人形の顔を描く、面相描師として、仕事に打ち込み、修行に励んだ、いつしか、私の描く人形の顔は何処となく恭介の面影に似た、そして私の描く幼児の顔には、美沙緒自身は一度も逢う事を許されずに亡くなったとされたわが子の面影を描き出していた。

私、原井美沙緒は恭介を失ってからの人生はいつしか、40年数年の歳月が過ぎていた、その日々の中で、時には新しい人生を選択する機会も何度かあった。

人を恋しく想い、愛おしい感情が生まれた事も何度かあったけれど、そのたびに、私自身の体の中で血液の流れが止まってしまったように、心が、感情が、どこかで固まってしまった場所があるような感覚に囚われていた。

別の人生を選ぶ、選択を拒むように、頑固な重石のような意識のない私自身がいて、新しい選択を邪魔をしてしまうのだった。
そんな長くて、短かった、40数年の歳月が過ぎて行ったが、昨年の春、私、原井美沙緒は、何気なく受けた、健康診断で、乳がんが発見された!
若い医師は、軽く、さりげなく、私に伝えて!

「どうやら、乳がんのようですね!」
「知り合いの専門医をご紹介しても良いのですが・・・」
「どうなさいますか?」

ごくごく、あたり前のように話す医師の言葉を私は他人事のように、耳に聞こえていて、診察室の空気の中に、私の感情はまぎれて行く・・・
私はあたりまえのように、何の心の動揺もなく、聞いていたのか!

「乳がんなんですか・・・」
「わかりました、お任せいたします!」
「ご紹介してください!」

何の感情の変化も無いように、口から勝手に出てくる言葉そのままに、私は、返事をしていたようだった。
その、3ヵ月後、私は、ある病院で、右の乳房を取り除く手術を受けた!!!

それは不思議なほど、穏やかな気持ちと、少しだけ贅沢な寂しさとでも表現しようか、孤独とは贅沢な寂しさと不安が入り混じった感情で、誰にも、左右されない生き方は自由だけれど、少しでも、気弱な感情を私自身が持った時、際限なく広がって行く不安!
否応なく、たったひとり、本当の自分の姿を見せつけられる!

そんな心の揺れる日々が過ぎて、私は気づいた、はじめて会った瞬間から、なぜか、私のは担当医に心惹かれていた!!!
最初は、懐かしいような感情に戸惑い!!!

何処かで出会った事があるような、切ないような、愛おしささえも感じる、気がかりで、不思議な人にみえたのだった!!!
確かに、清潔感のあるハンサムで素敵な青年医師だ!
医師の年齢40代なのだと少し後に、若い女性看護士に聞いた!

とても若く見えて、私の担当医だと紹介されて最初に会った時、私は30代の前半だと思ったほど若く感じた医師だった。
背丈も、高からず、低からず、バランスの取れた姿に惹かれる!

この若き医師に出会った瞬間、私は若き日のあのどうしようもない想いと人を疑う事を知らなかった切なくて、混乱と狂乱した日々が突風のような感情で私の心を捉えていた!!!

(8)
なにより、誠実さが見て取れる感覚の美しさが好ましい、優しさから受ける信頼感をしぜんに感じられた。
私はこれより、命のすべてをこの医師にゆだねるのだと思い、思わず、じっと、顔をしっかりと見つめていたら・・・

「僕の顔、見惚れるほど、いい顔してますか?」
「それとも、珍しい物がこの私の顔についてますか?」
「眼と鼻と口、ちゃんとありますよね!」

私はおもわず言った・・・
「あまりにも、ハンサムなので、見とれてます!」
彼はちょっと照れたような表情をして・・・

「まあ~これからしばらくの間、よろしくおつきあいしてくださいね!」
「時には僕を嫌いになるかもしれないけれど・・・」
「原井さんも頑張ってくださいね!」
「僕も最善をつくしますから・・・」
「ご自分が、治りたいと思うことが大事で、治癒力も高まるのですから・・・」

この若き医師は優しい笑顔で話してくれた。
私は、慌てて、目をそらして、下を見ながら、医師の顔をまじまじと見すぎたことが恥ずかしくなって、言葉に詰まりながら・・・
「ハイ、分かりました、どうぞよろしくお願いします!」

乳がんの検査の後、手術をする事になって、担当医としての初めての診察日、この医師とそんなふうに、言葉を交わした。
『その医師の名は、長谷川純也、42歳』

何処となく、私の愛した人、『長谷川恭介』に良く似ている!!!
恭介は私と登った「谷川岳」で消息を絶ったまま、40数年の歳月がすぎた今も、その亡がらさえ発見されていない!

何度か、恭介らしい姿を見たと言う噂を聞いた事もあったけれど・・・
私は恭介を殺めてはいない、無実の罪に問われて、服役を余儀なくされて、その中で、恭介の実家や恭介の父の経営する病院は閉鎖されて、恭介の親族の消息も分からないままに歳月は過ぎて行った。

絶対にあり得ない事だと思いながらも、私は、恭介を想いながら、そして、顔さえも見ることを許されないままに、亡くなったと知らされたわが子の面影を「長谷川純也医師」の姿と重ね合わせて見ていた。

私の愛する人、長谷川恭介への思い出は、私の65年の生きた歳月の中で、あまりにも強烈で、鮮やかな愛と苦しみは、忘れようとしても、忘れることの出来ない記憶だ!!!

私の人生の中で何度かの淡い恋心を抱き、又、結婚に繋がる出逢いもあったけれど、私はその選択をせずにあえて孤独を選んでしまった、その選択を一度も悔やむ事も無く、むしろ、贅沢な寂しさと孤独を望んだのかも知れない・・・

人生は長いようで短い、短いようで長い、矛盾する思いだけれど、今の私は、この贅沢な孤独と寂しさに酔って、感謝して生きられる事がいい!!!

私に残された時間が後どのくらいなのかはわからないけれど、今、精一杯、悔いのない生き方が出来る!!!

今の私は、定期健診での担当医である「長谷川純也」彼に会える時間が何よりの心華やぐ、喜びであり、贅沢な寂しさで、切なさを感じ、複雑な心境を戸惑いながらも楽しみなひとときを味わえるドキドキ感に酔いしれているのかも知れない・・・

恭介の面影を偲ぶような、そして、若き日の情熱、煮えたぎるような熱い想い、恋心を思い起こしては懐かしく、切なく、私の取り戻す事の出来ない人生と歳月を思いながら・・・

                      『完』
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by hisa33712 | 2012-05-27 11:33 | 贅沢な寂しさ(小説)

カシャ、シャッター音が楽しい、古くて重いフイルム写真ですが私の宝物、記憶写真と眼の悪い私が今を映す感覚写真ですが観ていただければ嬉しいです、生きがいですから・・・


by hisa33712
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