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記憶のかけら、今だから・・・

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残酷な歳月・・・(小説)

またもや、驚きの事実を話した。
直樹(樹里)はおばあさまから、真実を聞かされて、一時期は、ショックが大きくて、生きて行く自信をなくしてしまい!

自分の人生のすべてに嫌悪感を抱き、何をする気力も無くして、今まで生きてきた歳月をどう理解すればよいか!

本当に苦しくて、死を覚悟して、父の亡くなったあの事故現場である『穂高、吊尾根』に向かったのだと言って、泣き崩れた!

その姿は、あの凛とした『直樹』の姿ではなく!
女性としての切ないほど、弱弱しい姿で、ジュノは思わず、抱きしめてあげたい衝動に駆られたが、やはり、たった今、聞いたばかりの妹としての樹里の姿を、どう受入れて良いのか、戸惑うばかりだ!

妹の樹里は、確か、ジュノ(寛之)より四歳年下のはずだ!
今、目の前にいる女性の姿の直樹であり、妹の樹里は三十四歳になるのだろうか?

『直樹としての姿も、凛とした、美しい姿だが!』
『樹里としての女性の姿は、美しさと気品に満ちた!』
『輝きと内面の気高さが際立ち、本当に美しい女性の姿!』

その両方がひとりの人間として、
『苦しみながら生きて来た姿だ!』

樹里は、今の今まで、兄への思いを隠して、直樹としてジュノに接していた事が、本当に辛くて苦しかったのだろう事が、ジュノにもその気持ちが、わかりすぎるほど、心に伝わって来る!

ひとしきり泣いて、落ちつきを取り戻した、妹としての樹里は、話を又、はじめた。
いままで、誰にも甘える事も出来ない、妹、樹里としての気弱さをジュノに一気にぶつけてしまったのだろう、おそらく『直樹』として、生きて来た日々は、人の前で泣く事さえ許されぬ立場だった事がジュノには予測できた。

妹、樹里は、死を考えながら、穂高、吊尾根を、死に場所を求めて歩きながら、気づいたのだと言った。

何度も、何度も、父と母に、
なぜ!
『私ひとりを残し、行ってしまったのですかと!』
問いつづけた!

そして、なぜ!
『私は、男として、生かされたのかを、考えた!』

その時の、穂高では、両親からは何の答えも出してはくれなかったけれど、ふと、思ったのは、自分だけが生き残されたのには、何か
『特別な意味がある事!』

私には、なすべき事があるのだとの、強い思いに、たどり着いたのだったと、その時の樹里の心境を、ジュノに話してくれた。

無念な思いを残したまま亡くなった、父や兄(その時はまだ兄がジュノだとは知らなかった)の悔しさを悟り、樹里は何か、なすべき事があるのだとの、思いになった!

私はただ怖くて
見えない恐怖が
大切な人を追う
美しき人は言葉もなく
心が引きちぎれるほど
切なくて悲しい
命ある事の感謝
めぐり逢えた事の感謝
君は太陽のように
輝き美しい


(37)
樹里は穂高から岡山の家に帰り、蒔枝家の仕事をしながら、あの事故の事や母の行方を捜しながら、大杉さんの事を調べていて、母の異父兄弟で、伯父である事もわかり、又、今、蒔枝の家にいる、樹里(直樹)の世話をしてくれている、女性『金崎ゆき』はじつは、韓国の祖父母と共に、日本に来た韓国人の 『ハン・ウギョン』 と言う、母の祖父母達と共に!

独立運動や反戦運動をしていた人だった事を、金崎さん自ら、韓国を離れる事なった、いきさつを話してくれて、韓国の祖父母も、日本で暮らしている事を知ったのだと、樹里はジュノに話した。

大杉の伯父の計らいで、樹里の乳母として、日本に来てから、程なく、蒔枝家に住む事なって、樹里を手助けしてきたのだった。

だが、樹里(直樹)の知る限り、大杉の伯父は、蒔枝家には一度も訪れてはいないし、あの事故以来一度も、大杉の伯父には会ってはいないのだと話した。
ただ、祖父母とは連絡を取っていたように乳母の金崎さんから聞いていますと樹里は話した。

蒔枝家と大杉家とは親戚筋にあたる事でもあり、大杉の伯父の養父母が健在の頃は、親戚づきあいで、樹里も、祖父母のお供で、何度も大杉家に伺っていたけれど、大杉の伯父には一度も会う事は出来なかったと樹里は話した。

そして、寛之が自分の意志とは関係のないところで、大杉の伯父と養父母の善意から、運命をかえる事になった!
『ジュノとして、韓国に渡ったと同じ頃!』

祖父の 『イ・ゴヌ』 と祖母の 『キム・ソヨン』 が日本に渡って来たのだと話した。
その時に、金崎ゆき、こと 「ハン・ウギョン」 も一緒に日本に来たのだった。

その後、三人は、名前をかえて、在日韓国人として、政治運動的な事はせずに日本で暮らしていた。

だが、樹里(直樹)が最近、知った事は、大杉の伯父の手引きで、日本に渡って来て、ジュノたちの祖父母の日本での生活や経済的な援助をしていたのは、たっての大杉の伯父の願いもあり、大杉家と共に、親戚筋にあたる蒔枝家もかげながら、手助けしていたのだと、樹里は「金崎ゆき」から聞かされて知ったと、ジュノに話した。

だが、祖父の「イ・ゴヌ」は十五年ほど前に病気で亡くなったが、祖母の「キム・ソヨン」は岡山の蒔枝家に近い場所の高齢者医療施設にいて、少し「アルツハイマー病」があるが、健在で、八十九歳になっている。

娘である、ジュノと樹里の母 『イ・スジョン』 が亡くなった事はまだ知らされていない!

けれど、先日、樹里はこの祖母に
『孫、樹里として』会ったのです。

と言って、樹里は又、泣いた、妹はもう、こらえようのない、心に重くのしかかっていた、いろいろな重圧に耐えられなかった。

ただ、泣きくずれるしか、自分の気持ちを伝えられない、もどかしさがあった。
『母が亡くなった事をどうしても知らせる事が出来ない!』
『樹里に話せないジュノ!』

もうこれ以上、辛い思いをさせたくなかった!。
今まで、思うさま泣く事も出来なかったのだろうと、樹里を思い、ジュノは、その事が又、切なくて、胸が痛む!

大杉さんは伯父としても、父の友人としても、事故のあと、一年が過ぎた頃に、寛之は父と一緒にあの事故で死んだ事を伝える為に「蒔枝家」を訪れて以来、来ていないと樹里はジュノに言った。

実際、大杉家へもあまり帰ることもなかったようで、大杉の両親が亡くなった時も、葬儀は『蒔枝家』が、親戚筋でもあり、大杉家には他に家族と言える者がいない事で、蒔枝家が、代わって、とりおこなわれたのだが、そのお葬式やその他の行事に、直樹(樹里)は手伝いをしていたが、大杉の伯父は来なかったが、何日か過ぎた時期に、お墓にお参りしている姿を、見かけた人がいたようだったと、樹里は話した。

ふるさとを離れて
孤独に生きる事が償い
あの暖かな背中を
美しき兄と妹が求める
いま何処で耐えて
心を閉ざした優しい人
ただ逢いたいのです
恨む思いも
憎しみの心も
父と母がつむいだ愛

今も、ジュノも樹里も疑問に思いながらも、大杉の伯父は、自分の命があとわずかだと思いながらも、愛する大切な家族を、不幸のどん底に落としてしまった事の責任を、どうする事も出来ない苦しみと懺悔するような思いで、孤独に耐えながら、身を隠しているのだろう。

ジュノは、幼かった頃の大杉の伯父の優しい眼差しが、思い出されて、今、伯父の置かれている状況の厳しさを思うだけで、辛く、悲しく、とても、伯父に会いたいと願わずにはいられない!

「今、どこで、どんな姿で、苦しみに耐えているのか!」

美しい姿の樹里は、数日、東京で過ごして、ジュノの養父母とも、初対面ながら、打ち解けて、特に母とは女性同士!話も合うのか、とても楽しそうに微笑む笑顔がとても美しくて、その姿を見ている時、ジュノは心が熱くなり、思わず、全身が震えるほど和む。
樹里は、時には実の母のように思えるほどの感覚になるようで、お互い遠慮がちではあるけれど、よく笑い、話していた。

幸いにも、養父母は長く日本に住んでいた事もあり、日本語も話せる事で、樹里との意志が通じ合える嬉しさを、そばで見ていても、楽しい事だった。

そして、突然、まだ、幼かった頃に実の両親と暮らしていた家、東京の、我が家で、クリスマスのお祝いのパーティに、大杉さんと一緒に今の両親が、来てくれて、楽しく過ごしているジュノ自身の幼い頃の思い出がジュノは懐かしい夢を描くような、胸が熱くなる、幸せを感じていた。
いままで、一度も思い出す事が無かった、父の笑顔!
いつも、生真面目な、学者の顔!
母が父を呼ぶ

『ヒョンヌ』

の声も鮮やかに!
とても、懐かしい、一瞬のうちに、ジュノは十歳の幼い日々!

『母の唄う、アベ・マリア』

あの頃の事が浮かんできた!
ソウルで、養父母と暮らしていた頃には、思い出せなかった事、心の奥深く閉じ込めていた、思い出だった。
おそらくは、ジュノは、無意識に、感じ取っていた、養父母への気遣いから、そうさせていたのだろう!

兄と妹として、幼い頃の事を、お互いがまだ、素直な気持ちで話せるほど、親しさを見せる事が出来ない、ぎこちなさはあるが、顔をあわせる度に、ただ嬉しくて!
一言の言葉を交わす度に!

お互いの心が近づく喜びを感じていた。
だが、樹里は、岡山へ帰る時は、『直樹』として、男性として、帰って行った。
その姿は、ジュノにとって、悲しみと樹里の毅然とした、振る舞いの清々しさを感じた。
岡山では、『直樹』が女性だと知っているのは「黒崎かね」だけだった
し、戸籍上も『蒔枝直樹』であり、仕事上も「直樹」として生活する事が、今は仕方のない事だった。

ジュノは、樹里が帰るときに、大杉の伯父から送られてきた荷物の中にあった!
『イ・ゴヌ』と『キム・ソヨン』の名前の記された!
古い詩集を一冊、樹里に渡して!
たぶん、私たちの生まれるずーと前の頃!
おじいさま、おばあさまが、独立運動をしていた頃に、出版された物だと思うけれど、私たち家族にはとても大切な本なのだろうと思うから、と、樹里に伝えて、渡した。

古い詩集が物語る
忌まわしい歴史も
美しい言葉でつづられて
激しい言葉でつづられて
受け継がれた思い
愛する大切な家族へ
伝えたい平和を
人としての希望を
年老いた私の願い
美しき人へ幸多き事を

(38)
思いもかけない姿で、ジュノの前に現れた、妹の樹里!
それは、驚き、驚愕し、ジュノの混乱はしばらくの間、止めようも無いほどの鼓動が勝手に、早鐘を打った、あの時!

『ジュノはすべてのものに、感謝したい気持ちになった!』
『あれほど激しく願っていた、ただひとりの妹!』
『ジュノのすべてをかけて、愛を注ぐ、妹、樹里!』

その姿は、あまりにも近いところに、居てくれた事の驚きと感謝!
少し、落ち着けば、嬉しさと、信じられない現実に、ジュノは戸惑いと、表現出来ないほどの、ゆっくりとした感情の喜びと感謝の気持ちに、あついものを感じさせていた。
直樹が、妹、樹里としての姿でジュノの前へあらわれた!

確かに、信じられない思いではあっても、直樹として、接していた時も、どこか、特別な感情が働き、いつも、心の奥では、妹、樹里を感じていたように思う!

直樹としてジュノに接している、樹里もまた、同じ用に、心が動いていたのだろう。
そして、驚きはしたけれど、元気で、しかも、実父の家を守る、大事な人としての役割を果たしてくれていた事が、ジュノには嬉しい事ではあるが!

樹里のこれからを考えた時!
心から喜べない思いで、複雑に痛む、思い心!
岡山に帰った直樹(樹里)がこれからどう生きて行くかは、ジュノはアドバイスとしての手助けは出来ても、答えを出してあげる事は出来ない、難しい問題が多くあった。

君はどんな姿でも
私には愛おしい
この思いのすべてを
言葉にして伝えよう
美しき人の生きる力
今この心が君を支えて
記憶のすべてを
君の為に
正しき道を歩む
けがれなき頃のぬくもりを

ただ、樹里の幸せな生き方を願い、祈りながら、言葉にならぬ、もどかしさで、ジュノ自身の考えさえ、決めかねる!

『心の優柔不断さ!』

に、すまないと、心の中で詫びた。
ジュノにとっても、ある意味、眼に見えぬ何かに、樹里と同じように決断をせよと迫られているような思いでいたのだった。

ジュノは、日本人でありながらも、『寛之』として、なにひとつ、生きた記録や証しがない!
ジュノの中の思い出とわずかな記憶だけが存在する!

あの事故のあと、大杉の伯父はなぜ、寛之としての、この私の存在を消してまで、ジュノとしての私をつくり上げなくてはいけなかったのかが、ジュノは、今でも、大きな疑問として、心の中で大きく残ったままだ!

かなり、体調が悪いと、思われる、大杉の伯父の行方をジュノは必死で、捜したが、わからないままだった。
伯父の手紙では、もう、命もわずかだと書かれていた。

伯父は、こんな方法でしか、自分の心の中の罪の重さに耐えて、自分を痛めつけることしか、償う事が出来ないと考えての事なのだろうと、ジュノには想像出来た。
ジュノは、今、ただ、大杉の伯父がたまらなく、恋しく、会いたいと
思う!
そして一言、恨み言ではなく!

『ただ、感謝の言葉を、言いたかった!』
『伯父さんの優しさを、いつも忘れられなかったと!』

そう伝えてあげたいと、ジュノは本心から、思えるのだった。
疑問は、疑問として、これからも『なぜ!』の思いは残るだろうけれど、あの、大杉の伯父が、私や樹里へ知らせる事が出来ない何かがあるのだろう。

かたくなに拒んだのには、それだけの理由があっての事だったと今、思えるのだった。
いつか、歳月が過ぎて、どんな理由であっても、許しあえる事として、きっと、私たちが知る時が来るのだろう、その時まで、自然に時の流れのままに受入れて行こうと思うのだった。

たとえ、大杉の伯父からの言葉ではなくても、きっと、心から信じ伝わるだろうと、ジュノは今、そう思う事にした。
by hisa33712 | 2012-06-20 17:20 | 残酷な歳月・・・(小説)

カシャ、シャッター音が楽しい、古くて重いフイルム写真ですが私の宝物、記憶写真と眼の悪い私が今を映す感覚写真ですが観ていただければ嬉しいです、生きがいですから・・・


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